(1)教員(氏名、所属学部)
中所 武司 理工学部
(2)担当科目名と参加学生数
理工学部 情報科学科「ソフトウェア工学」と「ソフトウェア工学演習」
約100名(主に3年生)
(3)実験のねらい
日本の社会は、今、歴史的な転換期にある。従来のように技術先進国(米国)の
後追いをしていればよい時代には、”教科書”から知識を吸収して実践、改良して
いく人材が求められていた。しかしながら、これからは、自ら問題を発見して、
それを解決していく独創性が求められている。このような、自ら考え、自ら行動する
人材にもっとも重要なことは、「議論に強くなる」ことであると考える。なぜなら、
議論するためには自分の考えをもち、相手に理解させるだけの論理を構築し、表現する
能力を必要とするからである。
ところが残念なことには、現在の学生は、小学校以来、授業中に議論するという
文化になれていないため、100人くらいの多人数の授業では、積極的に挙手をして
発言する学生はまれである。しかし、ミニレポートの形で書かせると多くの学生が
自分の意見を書く。
そこで、インターネットを利用したディベートにより、学生が議論に慣れることを
目的とする。
(4)実験内容
以下のような方法で、学生同士にディベートさせる。
(1) まず、課題に対する回答をレポートとして提出させる。
(2) 対立する2つの意見を代表するグループ(5人ー7人ずつ)を選出し、
電子掲示版でディベートさせる。(他の人もディベートへの参加は自由とする)
(3) 適当な時期に、上記のディベータ以外の全員にどちらの意見を支持するか、
電子掲示版上で1回だけ記名投票(支持理由も記入)させる。
(4) 最後に教員が見解を述べる。
(5)実験結果
3年間のプロジェクト期間中に、以下の課題について6回の電子ディベートと
1回の電子レポート&ホームページ掲載を実施した。
(1) 中華航空機事故におけるソフトウェア開発者の責任の有無
(2) DVDに関して,意図的に地域(米国,欧州,日本)ごとに異なる仕様を設定する
ことの是非
(3) エンドユーザ主導のソフトウェア開発の実現可能性
(4) 日経コンピュータ97.4.14「特集:実録 巨大システム全面刷新」の成功要因を
1つだけあげよ.それはユーザ側/メーカ側のいずれの功績か
(5) 最近のJava言語をめぐるサンとマイクロソフトの争いについて,「標準化」の
視点から自分の意見を述べよ.
(6) 履修登録システムの入力端末導入に関して,汎用端末の利用と専用端末の設置の
いずれかを選択し、その選択理由ものべよ.
(7) 西暦2000年問題について自分の意見を述べよ.
各課題について、簡単に概要を述べる。
■ 第1回:電子ディベート
● 課題(1996.10.3)
「中華航空機事故におけるソフトウェア開発者の責任の有無」について述べよ.
[概要] 本事故の1つの原因は,自動操縦プログラムに関係している.副操縦士が
手動で操縦かんを操作中に,誤って「着陸やり直しモード」(自動操縦)を設定.
そのまま,手動で着陸するために操縦かんを押し続けたため,自動操縦装置は機首を
異常に上げてしまった.本ソフトウェアの開発者は,開発時に例外処理の1つとして,
手動操縦操作時の処理を組み込んで置くべきではなかったか.
● 結果
ディベート後に,多数意見が「責任有り」(支持率61%)から「責任無し」
(支持率64%)に変化し、「責任無し」グループの勝ちとする。一般的な意見
としては,論理的には「責任無し」であるが,人命にかかわることなので心情的には
「責任有り」という印象でした.
主な論点として、以下の項目をとりあげて、解説した。
(a) 要求仕様書の通りに作れば責任はない?
(b) 専門の知識の無いものは口出ししてはいけない?
(c) システムテストはできるのか?
(d) 余談:製造物責任法
■ 第2回:電子ディベート
● 課題(1996.10.17)
「DVDに関して,意図的に地域(米国,欧州,日本)ごとに異なる仕様を設定する
ことの是非」について述べよ.
[概要] DVD (Digital Video Disk) とそのプレーヤに地域仕様を導入する主な理由は
以下のようなものである(らしい).
・米国の映画産業界の経営戦略上,ある地域で売られたDVDを他の地域に持ち込ませ
ない.(映画の封切りの時期が地域で異なるので,DVD販売時期も異なる)
・国ごとに異なる法律があり,ある地域で合法的なDVDが他の地域では非合法の場合
がある.(例:アダルト向け)
● 結果
ディベート開始前は「地域仕様:是」支持39名、「地域仕様:非」支持41名で
あったが、終了後は「地域仕様:非」が多数意見(支持率72%)となったので、
「地域仕様:非」グループの勝ちとする。議論としては互角だったように思われるが、
消費者の立場を代弁する「地域仕様:非」のグループの方が共感を得やすかった面が
ある。「地域仕様:非」の方にやや感情的な意見もあったが,消費者の心理状態や
日米問題にまで発展してなかなか面白かった.
主な論点として、以下の項目をとりあげて、解説した。
(a) 「地域仕様:是」の主な根拠(地域固有の文化の保護、各国独自の法律の尊重、
知的所有権の尊重)
(b) 「地域仕様:非」の主な根拠(海外と国内の区別は時代遅れ、産業保護より普及を
優先、各人の倫理観に任せるべき)
(c) ”鶏と卵”の論争?(市場の成長のためには,「消費者の増加」が先か「良い
商品の開発」が先か)
■ 第3回:電子ディベート
● 課題(1996.11.28)
「エンドユーザ主導のソフトウェア開発の実現可能性」について述べよ.
[概要] かつて電話交換手が交換業務を行っていた時代には,電話の需要が増えるに
つれて交換手が不足し,電話の普及が妨げられるという危惧があった.”1億総交換
手”化と皮肉られた時期である.この問題はその後の交換機の自動化によって解決
した.自動車についても専門職としての運転手だけが運転していた時代には,自動車が
増えるにつれて運転手が不足し,自動車の普及が妨げられるという危惧があった.この
問題は”マイカー時代”の到来とともにエンドユーザが自ら運転することで解決した.
そしてコンピュータの世界では,80年代にプログラマの不足から”1億総プログラマ
化”の危惧が生じた.電話や自動車の場合と異なり,コンピュータの利用には必ず
エンドユーザの利用目的にあったソフトウェアが必要であり,このソフトウェアを
誰が作るかという問題がある.
● 結果
ディベート開始前は「EU開発は可」支持47名、「EU開発は不可」支持43名で
あったが、終了後は「EU開発は不可」が少数意見(支持率48%)から多数意見
(支持率53%)となったので、「EU開発は不可」グループの優勢勝ちとする。今回は
もともと課題に曖昧な部分があったが,部品、部品組み立て技術、エンドユーザ、
対象とする業務、などに関して興味深い考察があった.
主な論点として、以下の項目をとりあげて、解説した。
(a) 「EU開発は可」の主な根拠(部品化、既にゲームソフトを作れるソフトあり、
学習は可能)
(b) 「EU開発は不可」の主な根拠(センスと知識が必要、業務は多様、組み立て技術が
必要、必要な部品をすべては提供不可)
(c) ”10年後”の論争?
■ 第4回:電子ディベート
● 課題(1997.4.30)
日経コンピュータ97.4.14「特集:実録 巨大システム全面刷新」(pp.78-89)
を読んで,成功要因を1つだけあげよ.それはユーザ側/メーカ側のいずれの功績か.
[概要] 完成が危ぶまれた大規模開発が今年(1997年)3月、期限通りに完成した。
それは、クレジット大手のU社が取り組んだ基幹システム全面刷新プロジェクトで
あり、投資額は500億円、開発量はCOBOL換算で540万ステップであった。U社は
当初、自社主導で開発を始めたが、途中でコンピュータメーカのI社とSI(システム
インテグレーション)契約を結んだ。いろいろな困難な問題が発生したが最終的には
うまくいった。
● 結果
ディベートにより「メーカ側」の得票率が9.2%から17.1%に増加したので、
「メーカ側」グループの善戦という結論。元々の記事がユーザ側の視点で記述されて
いたため、最初のレポートでは「ユーザ側」支持者が圧倒的に多いという結果だった。
ディベートによって「メーカ側」がどの程度巻き返すかに関心があったが、思ったほど
は増えなかった。情報科学科の学生は将来「メーカ側」になる可能性が高いので、心情
的には「メーカ側」支持者が多いと推測していたが、あまり関係なかった。
主な論点として、以下の項目をとりあげて、解説した。
(a) 大規模ソフトウェア開発の現状
(b) ユーザとメーカの役割分担
(c) ツールの現状
■ 第5回:電子ディベート
● 課題(1997.10.29)
最近のJava言語をめぐるサンとマイクロソフトの争いについて,「標準化」の視点
から自分の意見を述べよ.
[概要] 米Sun Microsystems社は,Javaのライセンス契約不履行,商標侵害などで
米Microsoft社を連邦地方裁判所に訴えた。そして、その起訴状と契約内容を公開した。
それに対して、MicrosoftはSunがMicrosoftを提訴した件に関連して,Sun が契約に
違反したとして逆提訴した。合わせて,Sunの訴状についての反論を地方裁判所に提出
したことを発表し,反論内容も公開した。Microsoftは全面対決の構えである。Sunと
Microsoftの争いは泥沼化しつつある。
[資料]日経BP社が提供するホームページ(http://www2.nikkeibp.co.jp/Java/)の
記事を参考にすること.独自に関連資料を引用してもよい.
● 結果
最初のレポートでは、「サン支持」28名、「マイクロソフト支持」14名で、
態度保留者が30名(全体の40%)いた。ディベート結果は、単純な投票とみると
「サン支持」グループの得票率71%で圧倒的勝利だが、当初のサン支持の比率67%
と比べると4%アップの程度なので引き分けと見ることもできる。サン支持理由の中
には、マイクロソフトがトップシェアを背景に強引なやり方をしているというやや
感情的な反発も多く見られた.ディベータの議論の中で独自の資料調査に基づくものが
少なかったのがやや残念だった.
主な論点として、以下の項目をとりあげて、解説した。
(a) 標準化の視点
(b) 契約遵守
(c) 技術力
(d) 標準化のジレンマ
■ 第6回:電子ディベート
● 課題(98.5.27)
履修登録システムのユーザインタフェース仕様(要求仕様の一部)と関係が深い
入力端末に関して,以下の2案の利点,欠点を考慮して,いずれかを選択し、その
理由ものべよ.
<A案>汎用端末(パソコン・ワークステーション)の利用.
<B案>専用端末の設置.
● 結果
最初のレポートでは「汎用端末」支持62名、「専用端末」支持17名だった。
ディベート結果は、単純な投票とみるとディベータ14名を除いて汎用端末派の得票率
が90%(43/48)で圧倒的勝利となる。一方、投票前の比率に偏りがあるので,投票前
の投票者の比率をディベータ7名ずつ差し引いて計算すると,汎用端末派の得票率は
85%(55/65)であり、投票後に5%アップの程度なので優勢勝ちの程度ともいえる。
議論としては互角だったように思われる.
支持理由は、汎用端末派ではコスト(24名)、混雑回避(11名)、設置場所問題
(4名)、その他(4名)、専用端末派では、操作性(4名)、安全性(1名)という
分布だった.受講生はエンドユーザの立場で検討すると予想していたので,コストへの
関心が高かったのはやや意外でした.
主な論点として、以下の項目をとりあげて、解説した。
(a) コスト vs. 操作性
(b) 利便性 vs. 安全性
■ 第7回:電子レポート & ホームページ掲載
● 課題(98.11.25)
西暦2000年問題について自分の意見を述べよ.
[配布資料]朝日新聞朝刊(98.10.17)の4面記事「一からわかる2000年問題」
[提出方法]タイトル、要旨(3行以内)、本文(20行以内)、参考文献を含む
レポートを電子メールで提出。
● 結果
全体にしっかりした意見が述べられたレポートが多かった。このテーマについても
電子ディベートをやりたかったが、時間の都合で断念した。評価結果は、 A(特に
優れているもの)10件、B(一応、現状調査あるいは自分の意見のあるもの)
47件、C(感想レベルのもの)16件であった。内容は以下の項目に分けてホーム
ページに掲載した。評価結果については、Aレベルの10件についてのみ、タイトル、
要旨、内容(現状調査、問題の明確化、自分の意見)、参考文献についてコメントした
ものを公表した。
(1) まとめ
(2) タイトル一覧
(3) 参考文献一覧
(4) 要旨一覧
(5) ベスト10とコメント
(6) レポート一覧(全メールの公開)
レポートの書き方についても注意した。タイトルについては、内容を表現していない
「西暦2000年問題について」の類いが20件以上あった。要旨については、「。。。に
ついて書いています」という目次的なものが多かった。参考文献については、延べ
57件で、そのうちインターネットのホームページが39件あった。
主な論点として、以下の項目をとりあげて、解説した。
(a) 技術的課題:ソフトウェアの保守技術
(b) 社会的課題:システムの品質保証
(c) 歴史的課題:プログラミングパラダイム
(6)実験のまとめ(良い点、悪い点、今後の予定、残された課題等)
実験授業(電子ディベート)に関するアンケートに対する学生の回答の主な内容は
以下のようなものだった。
<学生の評価>
・新鮮で面白い。(ほぼ全員)
・いろいろな意見がわかって面白かった.(大多数)
・普段はわからない同じ学科の人の考えを知ることができた。
・「朝までテレビ」みたいで楽しかった。
・話の苦手な人も意見がいいやすい.
・インターネットに慣れることができた。
・もっと回数を増やしたらよい.
<学生からの要望>
・投稿してから掲示されるまでの時間(早くても30分位)が長すぎる.(多数)
・反論までに時間差があり、リアルタイム性に欠ける。これでディベート?
・ニュースグループ(掲示板)よりもメーリングリストの方がよい.
(上記の問題解決と購読率向上)
・情報処理教室が空いていない.
・投稿件数が多くて、まとめて見ると読むのが大変
・意見をまとめる司会者がいたほうがいい.
・教員も参加すべきである。
・外部のシステムエンジニアや他学科の人の意見も聞きたい
・発言者が固定化する傾向がある。
・代表選手は指名ではなく、希望者にすべきである。
・意見が少ない.期間を長くすべき.
・自分の意見を述べた人が少ない.
・締切近くの投稿が多く,再反論の時間がなかった.
(7)感想
最後に担当教員(筆者)の感想ですが、面白いという学生側の感想が多く、ほぼ
全員が前向きの評価をしているので、おおむね成功したと思います.
私の予想外の効果としては,多数の学生が「同じ学科の他の人のいろいろな意見が
聞けてよかった」という感想を述べていることです.現在の教室での授業では教員が
一方的に講義する形式が多いため、3年になっても学生同士は意外と知り合いになって
いないことがわかりました。1,2年の早い段階で仲間意識を持たせられる授業が
必要と考えます.
一方、問題点として、意見の投稿から掲載までの時間が30分くらいかかるため、
臨場感に欠ける面がある。今後はメーリングリスト方式も試してみたいと思います。
以上