4年生の5月祭での企画「合理化と技術」
<表紙と目次の写真>
【私の執筆部分の抜粋 1968年5月】
「技術とは何か」
「人間にとって技術とは何か」
「人間とは何か」
『かれらがパンにただでありつくようになったら、気の毒である。そのときかれらは何を求めて叫べばよいか。かれらの生計問題 ― それはまさに彼らの気晴らしである。だからかれらは生計に苦労すべきである。 ― ニーチェ ― 』
我々は第2の問題を主にしながら、これらの問題を考えてきた。それは近年の産業界における技術革新がもたらした多くの社会問題を前にして、技術者たらんとするわれわれが考えずにはいられなかった問題なのである。そして我々は合理化問題を通してそれらを考えてゆくことにした。
<<中略>>
しかし、私はそこにどうすることもできない大きな時代の流れを感じる。その中で我々は多くのものを得たけれども、同時にわずかのものを失ったのだ。そのわずかのものとは人間が本来的にもっている非合理性(人間性)である。そしてある人々はその失われたわずかのものが自分のすべてでもあったかのように、それを求めて苦しみもだえているのである。
以上