日立製作所勤務(1971年〜1993年)のメモ的な特記事項 | 関連資料 | |||||||
【本ページ概要】 このページは、日立製作所勤務時代の出来事を個人的思い出としてまとめたもの。 ・■の欄は、社内報「システム研」に掲載された、私の関連する出来事を抜粋 <資料:システム研 縮刷版 昭和48年10月〜平成5年2月(第1号〜第223号)> ・薄緑色の欄は、私の関連する人事関連・所属先・所在地など ・ベージュ色の欄は、種々の研修での資料など |
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1971.4 | ・配属先:情報システム研究所 マンマシンユニット | |||||||
1971.7 | ・ソフトウェア工場・社内報:新入社員紹介:趣味・特技→「馬鹿笑い」 |
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1972.2 | ・人事異動:→オーエスユニット所属 | |||||||
1972.? | ・日立の関連会社の入社案内に下記の研究試作システム掲載: 「HITAC 8811グラフィック・システム用の図形処理パッケ-ジシステム」 |
記事 | ||||||
1973.1 | ・組合機関紙「旬報ソフト」:新春座談会「これからの組合を考える」 (委員長ほか10名出席) |
発言部分 (抜粋) |
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1973.2 | ・人事異動:→システム開発研究所301U所属 (情報システム研究所と中研の関連部署との合併で、システム開発研究所発足) ・初代所長 三浦武雄 |
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1973.10 | ■研究所の所内報「システム研」創刊 |
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1974.6 | ・組合機関紙「旬報ソフト」:カラム「365歩」 |
記事 | ||||||
1975.1 | ■事業所技術賞 二等:高速コンパイラの開発(301U 5名) |
関連論文 | ||||||
1975.8 | ・人事:301U 研究員 | |||||||
1977.1 | ■正月特集「各地の正月を語る」:「四つ目の餅」 |
記事 | ||||||
1977.3 | ■トップ記事:制御用応用プログラムの品質・生産性を向上 「制御用言語SPLを開発」 プログラムの構造化と標準化を促進 ■修養団参加報告(S.Y.記)1/25〜1/28 (注)M.W.さんの代理参加(三泊四日) |
関連論文 |
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1978.5 | ・研究所の所在地変更:横浜市戸塚区(ソフトウェア工場内)→川崎市多摩区王禅寺 |
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1978.10 | ・初めての国際会議での論文発表:第3回日米コンピュータ会議(サンフランシスコ) 【学会発表で海外出張】1978.10.8〜15 【(情報処理学会企画のツアーに参加、団長は大野豊先生) 【 訪問先:スタンフォード大学AI研究所 |
関連論文 | ||||||
1978.12 | ■第三回日米コンピュータ会議(UJCC)10/10〜10/12:サンフランシスコで開催 構造化プログラムの会話型最適化処理に関して、301Uの中所研究員が発表・・・ |
同上 | ||||||
1979.1 | ■社長技術賞 特賞:計算機制御ソフトウェア生産言語(SPL) テストシステム(HITEST)の開発((お)提案) |
関連論文 | ||||||
1979.10 | ■記事:集団長による運動会紙上弁舌合戦 青:無敵の青軍団 青海原を行く!!(ブロック長として、原稿担当) |
記事 | ||||||
1979.12 | ■今月のスポット職場:(シ研)の老舗301U ・記事抜粋 「日立会ブロック長の中所は(お)のH−VXの他、 (UCS)の**らと(塚)の電子交換機ソフトウェア・ツールを開発中。 それに新人の**が加わって相当な強化(?)となった。」 |
関連論文 | ||||||
1980.2 | ・部制導入:第3部301U所属 | |||||||
1980.3 | ■第七回麻雀大会 1/26 百合丘の雀荘にて(注)開始直前に電話あり、不参加 |
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1980.10 | ・日本で初めて開催の世界コンピュータ会議(IFIP80)での論文発表が、 翌朝の読売新聞の掲載記事で引用される |
関連論文 | ||||||
新聞記事 | ||||||||
1981.3 | ・初めてのIEEEの論文誌に論文掲載: IEEE Trans. Software Engineering, SE-7,2,248-254 (Mar. 1981) |
関連論文 | ||||||
1981.5 | ・副参事 | |||||||
1982.1 | ■新春戌年特集:「研犬の好きなエサ」アンケート →回答「”犬も食わぬ”ものを時々食す」 |
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1982.8 | ■トップ記事:16ビットマイクロコン用 「テストデバッグシステムHITSを開発」 大型計算機上でのマイクロコンソフト開発を実現 中所研究員談 「従来のツールは、誤りを正すデバッグ機能が主であったが、 HITSでは、誤りの有無を調べる機能を重視した。 特に、高級言語とアセンブラの複数言語を対象とすること、 統一的コマンド体系でテストとデバッグの両機能を支援することなどは 他にない特徴である。 今後は、保守時の再テストを効率よく行うために、 テスト手続きと実行結果のデータベース化、およびその管理技法を 開発していきたい。」 |
関連論文 | ||||||
1983.1 | ■社長ソフト賞 特賞: 16ビットマイクロコンソフトウェア用クロス型開発システム(S-PL/H,HITS) |
関連論文 | ||||||
1983.2 | ・ユニットの所属部署変更:第2部301U所属 ・(3月)第二代所長 川崎淳 |
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1983.5 | ■社外表彰:情報処理学会昭和57年度論文賞 「パステストに本質的な分岐に着目した網羅率尺度の提案」 |
関連論文 | ||||||
1983.5 | ・国際会議(全米コンピュータ会議)で論文発表(米国 アナハイム) Proc. National Computer Conference NCC'83, 52, 73-80 (May 1983) 【学会発表で海外出張】1983.5.15〜27 【訪問先: 【・カリフォルニア大学アーバイン校【Adaプログラミング環境】 【・日立アメリカのテレコムR&D(アトランタ) 【・MIT【データ抽象型言語、構造エディタ、知識ベースエディタ】 【・コーネル大学【統合プログラミング環境とプログラム生成】 |
関連論文 | ||||||
1983.9 | ・国際会議(世界コンピュータ会議)で論文発表(フランス パリ) Proc. the 9th World Computer Congress IFIP'83, 621-626 (Sep. 1983) 【学会発表で海外出張】1983.9.12〜25 【訪問先: 【・エジンバラ大学【知識工学、Prolog】 【・ロンドン大学インペリアルカレッジ【知識工学、Prolog】 【・チューリッヒ工科大学【プログラミング言語、プログラミング環境】 【・INRIA国立研究所(パリ)【プログラミング環境】 |
関連論文 | ||||||
1983.9 | ■新任者の横顔:主任研究員 | |||||||
1984.8 | ■学位取得:昭和59年6月14日、東京大学より工学博士の学位を授与された。 学位論文名は、 「段階的詳細化とデータ抽象化を支援する言語SPLの処理系と環境に関する研究」 |
関連論文 | ||||||
1984.10 | ■読書の秋:私の愛誦詩 「くものある日/くもはかなしい/くものない日/そらはさびしい」 日頃、論理的(?)な文章とばかりつきあっているせいか、 感覚的な詩にひかれることがある。 特に八木重吉の4行以下の短い詩に私の感性に合ったものが多い。 冒頭の詩はそのひとつである。 |
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1984.10 | ■日立技術展(11/12〜11/17)に出展: 「プログラム誘導形知的構造エディタPARSE」 |
関連論文 | ||||||
1985.1 | ■HITAP優良プログラム賞(1984.10.26): 68000用クロス型テストデバッギングシステムHITS |
関連論文 | ||||||
1985.4 | ・MMC(Middle
Manager Course)研修(営研)4/1〜4/6 「職場の問題点」:@仕事量と人数の不均衡 A職場における喫煙の扱い 「読書紹介」:イギリスと日本 -その教育と経済-(森嶋通夫、岩波新書、1977.11) |
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1985.4 | ■トップ記事:計算機誘導型知的プログラミングシステム 「PARSEの開発」 中所主任研究員談 「構造エディタは国内外の大学等で研究試作が行われているが、 本格的実用化に至っていない。 本システムは昨年の日立の技術展に出品した他、基本思想を 第9回世界コンピュータ会議(IFIP’83)で論文発表し、好評を得た。 現在、各工場の主力言語対応の構造エディタを効率よく開発するための 自動生成システムを研究開発し、技術移管を推進中である。」 |
関連論文 | ||||||
1985.5 | ・第2部UL研修 資料「ソフト生産技術の研究戦略」(5/30) | |||||||
1985.6 | ・日経産業新聞(1985.6.15)一面記事として、PARSE掲載 見出し「プログラムの効率作成「言語」苦手でも可能」 ■第12回 研究発表会 5/8開催 中所武司(第二部主任研究員)ほか |
記事 |
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1985.8 | ・第2部310U新設 UL | |||||||
1985.9 | 【海外出張】1985.9.1〜15 【訪問先:ロンドン大学インペリアルカレッジ 【委託研究交渉、論理プログラミング技術調査】 |
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1985.11 | ■小集団グループ紹介:310U ・グループ名:3A3本310 ・テーマ:個人の技術力向上とユニット研究の質的向上 ・グループPR: 新生310Uの小集団は若き男女15名(女性3)で構成される。 「気力」、「体力」および「議論」の3教科に優秀な成績(A)を取るため、 「本音による本人のための本当の教育」を主軸とした相互研鑽を行い、 週1回のグループ討論会を展開中である。 ・UL意見: 自力向上の3要素のうち「議論」はグループ活動における効果が大きく、 「議論の日常化」を通じて、パワフルな若手研究者が育つことを期待する。 |
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1986.1 | ■社長ソフト賞 入賞(1985.12.21): 計算機主導型構造エディタPARSEとその自動生成システムPARSE-Gの開発 |
関連論文 | ||||||
1986.1 | ・「株主・投資家の皆さまへ
日立は,いま・・・未来を開く技術を求めて」に掲載. 見出し「人間に,一歩近づいたコンピュータ ◆人工知能」 |
記事 | ||||||
1986.4 | ■研究随想「考えている私を考えている私は誰?」 |
記事 | ||||||
1986.8 | ・所属部署変更:第5部310ユニット | |||||||
1986.10 | ■学会から:人工知能の発表が多い「第10回世界コンピュータ会議」(ダブリン) (論文発表:the 10th World Computer Congress IFIP'86, 903-908, Sep. 1986) 【学会発表で海外出張】1986.8.31〜9.12 【訪問先: 【・ロンドン大学インペリアルカレッジ 【委託研究打ち合わせ、客員研究員派遣交渉、研究所への訪問依頼】 |
記事 | ||||||
1986.11 | ■トップ記事:専門家の知識を容易に記述・入力・処理できる 「複合多機能型知識処理言語S−LONLIを開発」 知識の全体構造と個別知識の記述を分離し、 大規模なエキスパートシステムの開発が可能。IFIP86で発表。 中所主任研究員談 「複数の知識表現形式を融合した言語として、論理型言語Prologを 基本としたものや関数型言語Lispを基本にしたものなどがあるが、 拡張性(他の表現形式の追加)、モジュール性(異種知識間関係表現)に欠ける。 本研究成果は、3年に一度開催されるコンピュータ分野で最も権威のある 世界コンピュータ会議IFIP86(9月にダブリンで開催)で発表し、好評を得た。」 |
記事 | ||||||
関連論文 | ||||||||
1986.12 | ・Hitachi ReviewのCreative Systems of
TomorrowのページにPARSE掲載 見出し「Computer-Guided Intelligent Structure Editor "PARSE"」 |
関連論文 | ||||||
1987.1 | ■社長技術賞 入賞(1986.12.21): オンラインリアルタイムソフトウェア一貫生産支援システムSSFA |
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1987.2 | ■勤続15年の表彰 | |||||||
1987.3 | ■トップ記事:ソフトウェア一貫生産システム(ICAS) 「大河内記念技術賞を受賞」(5名) |
関連記事 | ||||||
1987.3 | ■座談会「ソフトウェア生産技術の現状と将来」(8名) |
関連発言 (抜粋) |
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1987.5 | ・IEEEの論文誌に掲載の論文が、その後、35年にわたり引用される IEEE Trans. Software Engineering, SE-13, 5, 509-517 (May 1987) |
関連論文 | ||||||
1987.? | ・HITACHI TECNOLOGY'87 Hitachi Review
Special Issueに掲載. 見出し:ES/KERNEL Putting AI to Work |
記事 | ||||||
1987.8 | ・第三代所長 堂免信義 | |||||||
1987.11 | ■ロンドン大学インペリアルカレッジ コワルスキー教授を迎え講演会を開催 Robert Kowalski : What is logic programming and why is it important? |
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1987.12 | ■空尽賞を受賞 第5部310研究ユニットの中所主任研究員は、 11月13日(金)に昭和62年日立返仁会の空尽賞を受賞された。 受賞論文名は 「知識情報処理システム用多言語モジュラープログラミングシステム」である。 |
関連論文 | ||||||
1988.2 | ・人事異動:企画室企画グループ | |||||||
1988.5 | ・参事補 | |||||||
1988.8 | ・人事異動:同上、第2部202ユニットUL兼務 | |||||||
1989.5 | 【海外出張】1989.5.9〜20 【目的:ヒューズ社と日立の技術交流、 【 所長が団長で(塚)(ソフト)(森)(SK)から各1名参加 【訪問先: 【・UCLA【ニューラルネット、コネクションマシン】 【・ヒューズ社【ソフトウェア生産技術に関する技術交流】 【 *私のプレゼン:IEEE TSE のソフトウェアテストに関する論文 【・EDS本社(ダラス)【提携先の技術調査】 【・テキサス大学【分散システム用仕様記述言語】 【・MCC社【設計環境の技術調査】 【・カーネギーメロン大学(ピッツバーグ)【自然語処理の技術調査】 【・ソフトウェア工学国際会議ICSE'89【技術調査】(ピッツバーグ) |
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1989.10 | ・企画研修会 資料「事前レポート」(研究分野、長計、自発研究、企画)(10/27) |
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1990.5 | ■日立会専門部一覧:華道部 -池坊- 部長 |
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1990.8 | ・人事異動:第2部201ユニットUL | |||||||
1990.9 | ・第2部UL研修 資料「言語・コンパイラ・ソフト生産技術に関する研究戦略」 資料「人材育成計画(私利私欲型研究アプローチ」(9/28-29) 川柳「まいったか!俺のアイデアこの特許」「ユーザの不満が出れば大成功」 「研報(論文)で綴る自分史研究史」 |
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1990.10 | 【海外出張】1990.10.21〜11.4 【目的:国際学会(OOPSLA, COMPSAC)でのソフトウェア生産技術の調査 【訪問先: 【・オブジェクト指向プログラミング国際会議OOPSLA'90(オタワ) 【・トロント大学【オブジェクト指向プログラミング言語と環境】 【・メリーランド大学【オブジェクト指向言語と環境の技術調査】 【・イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校【オブジェクト指向技術】 【・ソフトウェアに関する国際会議 IEEE COMPSAC'90(シカゴ) |
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1991.5 | ・第2部主任研究員研修 資料「1991年のULの抱負」(5/29) | |||||||
1991.5 | ■日立会専門部紹介 -池坊- 部長 |
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1991.10 | ■MI(目的意識)−MI(Mind inspiring)欄 ”ゆとり”発見 xxxウォッチングのすすめ ー見えないものが見えてくるー |
記事 | ||||||
1993.3 | ・退職(転職:明治大学理工学部情報科学科) | |||||||
1993.9 | ・IEEE Software特集号に、ソフトウェアツール実用化の成功事例を論文として掲載 IEEE Software, 10, 5, 63-65(Sep. 1993) |
関連論文 | ||||||
1993.4 | ■(シ研)を去るにあたって 中所武司 「このたび、明治大学理工学部情報科学科に転出することになりました。昭和46年入社以来、情報システム研究所に二年、システム開発研究所には創立以来二十年お世話になり、有難うございました。 その間、ソフトウェア工学と知識工学の研究に従事し、私が関係した(お)の構造化言語SPLや旧(塚)のテストシステムHITSが現在まで十年以上も使われていること、三年に一度開かれる世界コンピュータ会議に三回連続で論文発表できたことなどが楽しい思い出です。 最後に二十周年を迎えられた(シ研)の今後の益々のご発展をお祈りしております。」 |
記事 |