「1980年の世界コンピュータ会議IFIP80(東京とメルボルンの共同開催)」
― なぜ私の発表がメルボルンではなく、東京なの? ―
(2016.12のブログ「番外編:メルボルン訪問2016→1980→1956」の詳細)
国際会議での論文発表のため、2016年の12月上旬に,はじめてメルボルンを訪れたが,
メルボルンについては、くやしい思い出がある.
36年前の1980年に第8回世界コンピュータ会議IFIP80(the 8th World Computer Congress)が,東京(第1週)とメルボルン(第2週)という形で,はじめてアジアで開催された.当時,コンピュータ関連の国際会議は少なかったので,論文採択率は結構低かったと記憶しているが,幸いにも発表の機会を得ることができた.で,
「なぜ私の発表がメルボルンではなく、東京なの?」
まず,論文投稿時に発表場所に関して,以下の3択の希望調査アンケートがあった.
・東京
・メルボルン
・どちらでもよい
ここで,当然「メルボルン」としたかったが、当時の私の勤務先では企画室経由で論文を投稿するため,メルボルン希望で提出すると社内審査の途中でチェックが入るのではないかと考えて「どちらでもよい」を選択した結果,発表場所が東京になってしまった.(^^;;
また,上司から「せっかくだからメルボルンに行ってこい」ともいわれなかった。
で,日本での英語による発表の時にK先生から質問が出たが,質疑応答うまくかみあわないまま時間切れとなり,直後にあらためてK先生と日本語で話したところ,私が質問内容を正確に把握できていなかったことが判明した.(^^;;
やっぱりメルボルンでの発表だとよかったのになぁ・・・ (^^)
【参考資料】
・発表論文
A good program = a structured program + optimization commands, Proc.
the 8th World Computer Congress IFIP'80, 269-274 (Oct. 1980) http://www.1968start.com/M/paper/1980IFIPWCCchusho.pdf
・読売新聞での引用記事
http://www.1968start.com/M/bio/1980yomiuri.html
追伸:
・この学会では同時通訳がついていた.事前に担当者に英文原稿を渡しておいたので,担当者は日本語に訳するのが楽だったと思う.
・ランチタイムに,超著名な学者のデイナ・スチュアート・スコット (Dana
Stewart Scott, 1932年-,アメリカの計算機科学者、数学者、論理学者)の横に座ってしまった.唯一の会話は,
「you are very famous in the world.」→「Oh, Really?」 だった.(^^;;
以上