日本と私(?)のソフトウェア技術45年史(1969〜2014)
2015.3 (2015.12改訂)
<まえがき>
日経BPのITproの記事(2015/02/25)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/watcher/14/334361/021900193/?ST=system
「『日本のソフトウェアは米国をしのぐ』から45年、一体どこまで来たのか」で,日経ビジネス創刊号(1969年10月号)の記事を引用して,日本のソフトウェア技術の競争力を論じている.
1969年といえば,私がプログラミング言語Fortranでニューラルネットワークのシミュレーションをするためにコンピュータを使用しはじめた年である.
そこで,この機会にソフトウェア技術に関する『私の記憶』をたどることにした.
■1969年:
大型計算機センターのHITAC5020/Fortranでのニューラルネットワークのシミュレーション実施.
その結果を学会で発表
・簡単な思考モデルによる討論学習効果について(電子通信学会全国大会、231(1970))
http://www.1968start.com/M/bio/olduniv/gakkai1970.html
・思考過程のシミュレ-ション(電子通信学会オ-トマトン研究会資料、A70-76(Dec.1970))
http://www.1968start.com/M/bio/olduniv/gakkai7012.html
・思考過程の数学的表現と模擬実験(修士論文)
http://www.1968start.com/M/bio/olduniv/shuuron.htm
■1970年代
・学会誌,情報系雑誌に欧米の紹介記事多し(有名ソフト紹介→国内の有名人)
・IBM社のソフトウェアのアンバンドリングが話題になった
国産メインフレームメーカーはその後もソフトはハードの価格に含まれていた.
・国鉄の座席予約システムMARS「みどりの窓口」(後にNHKプロジェクトXにも)
→1971年の私の就職先の研究所があった建物(ソフトウェア工場)内にその部隊あり
・日立製作所システム開発研究所に入社した1971年の業務は,
グラフィックディスプレイ用図形処理パッケ-ジシステムの開発だった.
http://www.1968start.com/M/bio/1974HSK.html
・構造化プログラミング/抽象データ型(→後に論文博士の学位取得のネタとなる)
・日米コンピュータ会議開催(第3回のサンフランシスコでの会議で論文発表)
Two-stage
programming: interactive optimization after structured programming,
Proc. the 3rd USA-Japan Computer
Conference (UJCC), 171-175 (Oct. 1978)
http://www.1968start.com/M/paper/1978UJCCchusho.pdf
■1980年代
・日本ではじめてIFIPの世界コンピュータ会議開催
★下記の論文発表が,読売新聞掲載記事で引用される
■記事抜粋:http://www.1968start.com/M/bio/1980yomiuri.html
■発表論文
A good program = a structured program +
optimization commands,
Proc. the 8th World Computer
Congress IFIP'80, 269-274 (Oct. 1980)
http://www.1968start.com/M/paper/1980IFIPWCCchusho.pdf
・1981年にIEEE TSEに論文掲載.
Performance analyses of paging algorithms for
compilation of a highly modularized program, IEEE
Trans. Software Engineering, SE-7,2,248-254 (Mar. 1981)
http://www.1968start.com/M/paper/8103ieeeTSE.pdf
・IBM事件
・1982年度 情報処理学会 論文賞 受賞
http://dbnst.nii.ac.jp/pro/detail/705
→対象論文:パステストに本質的な分岐に着目した網羅率尺度の提案、
情報処理学会論文誌, 23, 5, 545-552 (Sep. 1982)
http://www.1968start.com/M/bio/ipsjpaper/chu82ipsj.pdf
・1983年にNCC(全米コンピュータ会議)とIFIP WCC(世界コンピュータ会議)で論文発表(→発表が録音され,カセットテープで販売の時代)
このころは国際会議ではハード/ソフトなどのすべての分野が対象だった.
HITS: A symbolic
testing and debugging system for multilingual microcomputer software, Proc. National Computer
Conference NCC'83, 52, 73-80 (May 1983)
http://www.1968start.com/M/paper/1983NCCchusho.pdf
A language-adaptive
programming environment based on a program analyzer and a structure editor, Proc. the 9th World Computer
Congress IFIP'83, 621-626 (Sep. 1983)
http://www.1968start.com/M/paper/1983IFIPWCCchusho.pdf
・AIブームと第5世代コンピュータ(通産省のプロジェクト,推論マシン)
・シグマプロジェクト(通産省)(→結局,UnixWSに)
・国産OS「TRON」
・1986年に「株主・投資家の皆さまへ 日立は,いま・・・・
未来を開く技術を求めて」に掲載.
以下の記事参照:http://www.1968start.com/M/blog/198601Kabunushi.jpg
・1986年にIFIP WCC(世界コンピュータ会議)で論文発表.
A multilingual modular programming system for
describing knowledge information processing systems,
Proc. the 10th World Computer
Congress IFIP'86, 903-908 (Sep. 1986)
http://www.1968start.com/M/paper/1986IFIPWCCchusho.pdf
・1986年度 大河内記念技術賞 受賞 「ソフトウェア一貫生産システムの開発と実用化」
http://www.1968start.com/M/bio/1986ookouchiPrize.html
・1987年にIEEE TSEに論文掲載.
Test data selection and quality estimation
based on the concept of essential branches for path testing,
IEEE Trans. Software Engineering,
SE-13, 5, 509-517 (May 1987)
http://www.1968start.com/M/paper/8705ieeeTSE.pdf
・1987年に「HITACHI TECNOLOGY'87 Hitachi Review Special Issue」に掲載.
以下の記事参照:
http://www.1968start.com/M/blog/1987HitachiReview.jpg
・米国では業務パッケージの比率大,一方日本では受託ソフトウェアの比率大
■1990年代
・雑誌の記事に「医療,宇宙航空,ソフトウェアは5年遅れ」とあり,
拙著「ソフトウェア危機とプログラミングパラダイム(啓学出版 1992)」で引用
12.2.3項「パーセプショントランスファー」
日米のハイテク技術比較で5年先、10年先も米国がリ−ドしている分野として、医療、宇宙航空と共にソフトウェアが挙げられているが、ソフトウェア危機の問題は、一つの国の産業の問題としてではなく、いまや地球規模の問題として解決していかなければならない。
http://www.1968start.com/M/keigaku/ch12sec2.html
・日本のソフトウェア技術者のドル換算給与が米国を超えていたと思う(バブル絶頂期)
・IEEE Software特集号で,論文発表(告白:20年の研究で実用化は企業内ツールの2件のみ)
What makes software tools successful?, IEEE Software, 10, 5, 63-65(Sep. 1993)
http://www.1968start.com/M/paper/9309chusho.pdf
・インターネット普及,Webブラウザ,Java登場,・・・
■2000以降
まだ昔話には早すぎるかな. (^^;;
★感想は,リタイアしてから. (^^)
以上